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シアトル(USS ''Seattle'', AOE-3)は、アメリカ海軍の補給艦。サクラメント級高速戦闘支援艦の3番艦。艦名はワシントン州シアトルに因む。その名を持つ艦としては2隻目である。 ==艦歴== シアトルは1965年10月1日にワシントン州ブレマートンのピュージェット・サウンド海軍工廠で起工する。1968年3月2日にウィリアム・M・アラン夫人(シアトルの幼児整形外科病院協会の会長)によって命名、進水する。1969年4月5日、ブルース・キーナー三世艦長の指揮下就役した。 整調航海の後、シアトルは1969年9月24日にピュージェット・サウンド海軍工廠を出港、ノーフォークへ向かう。途中ロングビーチ、サンディエゴ、アカプルコ、パナマ運河およびニューオーリンズを訪れ母港のノーフォークには11月22日に到着した。 シアトルはグアンタナモ湾で整調訓練を行うため1970年1月2日にノーフォークを出港し、1月13日に空母アメリカ(USS ''America'', CVA-66)と併走、給油を行っている。1月19日にグアンタナモを出港、再び訓練を行った後ハイチのポルトープランスを訪れ、1月26日にグアンタナモに帰還した。 演習及び戦闘訓練の後、シアトルはフロリダ州メイポートからノーフォークに向けて出港、2月12日に到着した。 2月26日にシアトルはタグボートと衝突し燃料タンクを損傷、2時間に渡って油を流出させた。油はすぐに除去作業が行われ、損傷は軽微な物であった。 シアトルはノーフォークを8月27日に出港、初の海外任務を行う。9月6日にポルトガルのリスボンに入港、8日にはスペインのロタに停泊する。翌日ジブラルタル海峡を通り抜けて、シアトルはコンコード(USS ''Concord'', AFS-5)に貨物を積み込み、シチリア島のアウグスタ経由で東地中海へ向かった。ヨルダン内戦により地中海の緊張が高まり、シアトルは空母サラトガ(USS ''Saratoga'', CVA-60)の補給支援および護衛を行った。同月末にはリチャード・ニクソン大統領から僚艦11隻と共に観閲を受ける。 シアトルは地中海東部でサラトガの支援を続け、10月20日にはギリシャのアテネに入港した。 10月29日にアテネを出港し、11月9日には再びシチリア島のアウグスタに入港、補給と給油を行った後11月12日にイタリア海軍最大の基地タラントに入港した。 11月16日にタラントを出港すると第6艦隊の艦艇に対し補給作業を行い、その後11月25日から12月1日までナポリに停泊、12月8日から14日までスペインのバルセロナに停泊した。その後フランスのヴィラフランシェに年末まで停泊した。 シアトルは1971年1月6日にシチリア島南東での作戦行動に入る。1月17日から22日までナポリに停泊、その後イオニア海で活動した後2月20日までバルセロナに停泊、帰路に入り3月1日には母港のノーフォークに到着した。 シアトルは8月10日にプエルトリコに向けて出港、8月13日にルーズベルト・ローズ海軍基地に到着する。プエルトリコ、バージン諸島、グアンタナモおよびハイチで活動した後10月11日にノーフォークへ帰港する。 12月1日、シアトルはバージニア州クラニー・アイランドを出港し、6ヶ月間の地中海配備に入る。12月9日にスペインのロタに到着、翌日シチリア島のアウグスタに向かい16日に到着する。12月19日にナポリに向かい、クリスマスを同地で過ごした。12月28日にナポリを出港、バルセロナには大晦日に到着した。 7ヶ月に及ぶ地中海配備の完了後、シアトルは1972年6月29日にノーフォークへ帰港した。その後4ヶ月間に渡ってノーフォークから活動し、10月24日、第6艦隊の予定外の配備のため出港した。シアトルは地中海西部でのオペレーション・バイスタンダーに参加し、ノーフォークに帰港する前にナショナル・ウィーク XIV 演習に参加、ノーフォークには12月19日帰還した。 シアトルは1972年の残りと1973年前半の半年間をノーフォークからの活動で過ごす。6月に海外へ展開し、12月1日に再びノーフォークに帰還した。 シアトルは2004年6月にジョン・F・ケネディ(USS ''John F. Kennedy'', CV-67)空母戦闘団の一部としてペルシャ湾に展開した。2004年8月12日にシアトルはインドネシア船籍の貨物船エドハIIの乗組員12名を救助した。生存者はイラクのウム・カスルに送り届けられた。2004年12月14日にシアトルはノーフォークへ帰還した。 シアトルは2005年3月15日に退役した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シアトル (高速戦闘支援艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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